日本の禍機(前編 日本に関する世情の変遷)

人生最大の難事には、周囲の境遇・一時の感情や利害から離れて考えるべし。克己とはそういうこと。特に危機ではこれが最も必要なこと。

輿論には霊妙不可思議の圧力(山本七平:空気)があって、賢者でもその思想行為を空気に支配されないものは稀。

日本は隆盛を謳歌しているが、1つの危機を通過して他の機器が迫っているのではないか。日露戦争後日が浅いから、既に早く別種の危機が迫っていることに気づかないのも無理はないし、2つめの危機は1つめとは性質が全く異なる。戦争は国民を鼓舞するが、今日の問題は抽象的で複雑、一見すると平凡で人を動かす力に欠ける。この解決に必要なのは突き抜けた先見の明と堅硬な自制心であり、戦闘とは異なる。
このことを見抜いているごく少数の識者もいるが、大多数は目前の利害以上を見る余裕がなく、問題の解決どころか、何が問題かを告げることすら難しい。
日本に必要なのは「反省力ある愛国心」。

輿論の圧制(空気)を恐れず反省する習慣を得ることを望むのみ。

日本国運の問題はとても広範囲に及ぶので楔というほどに重大な満洲問題についてのみ論ずる。

個人間も国家間も、相手の自分への感情は誤見を含んでいるため、これを本位(基準)に自らの方針を立てるのは愚かなことだが、孤独でない以上は世の評判を免れることはできないし、交わりも親密になればそれだけ利害にも影響する。
公平に観察する場合は、周囲が自分を取り囲んで見るのはかえって良いことだ。相手の方が長けていたら世評に刺激されて対等になろうと奮発するべきだ。維新以来、日本の進歩はこのような刺激によるところが浅くない。列強と肩を並べるようになっても、神でない自分には見えていないところもあるし、誤った世評の中にも自分を啓発することが多いのは欧米諸国間の相互の批評練磨を見て知るべき。